地獄は本当に存在するのか - 旧約聖書では地獄はについて何と言っていますか?
本当に地獄は存在するのでしょうか?正確な聖書の世界的観念では肉体的に苦しむ永遠の地獄は現実に存在すると信じられています。あなたはどのように信じますか?
聖書の中で、天国について述べられているより、地獄についてより多く述べられていることは、非常に興味があります。旧約聖書で地獄について書かれた節をいくつか挙げてみましょう。ダニエル書12:2“地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。”と書かれています。ここで地獄は永遠と表現されています。イザヤ書66:24には、“彼らは出て行って、私たちにそむいた者たちのしかばねを見る。そのうじは死なず、その火も消えず、それはすべての人に、忌みきらわれる。”と書かれています。この節から言うと、地獄とは永遠に消えることのない火の燃えあがる場所です。申命記32:22で“わたしの怒りで火は燃え上がり、よみの底まで燃えて行く。地とその産物を焼き尽くし、山々の基まで焼き払おう。” ここで地獄は神の怒りを表した場所と表現されています。詩篇55:15には、地獄は悪の領域と表現されています。“死が、彼らをつかめばよい。彼らが生きたまま、よみに下るがよい。悪が、彼らの住まいの中、彼らのただ中にあるから。”
地獄は本当に存在するのか−新約聖書では地獄について何と書かれているか?
地獄は本当に存在するのでしょうか?旧約聖書に明確に記された地獄の説明が十分でないならば、新約聖書でも地獄について多くが記されています。第2テサロニケ 1:9には、“そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の刑罰を受けるのです。”と書かれています。黙示録14:10-11では反キリスト者たちについて、私たちに次のように教えています。 “そのような者は、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲む。また、聖なる御使いたちと子羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。そして、彼らの苦しみの煙は、永遠にまでも立ち上る。獣とその像とを拝む者、まただれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も休みを得ない。”黙示録20:14-15では、地獄は火の池のようだと表現されています。“それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第2の死である。いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。”
地獄は本当に存在するのか−イエスは何と言ったのでしょう?
ある人たちは地獄について、イエスは愛と平安と赦すことを教えたのだから地獄が存在するはずはない、と言い、またイエスを信じない者たちを永遠の火で処罰するとは教えていないと議論します。しかしながら真実は全く反対です。 聖書の中でイエスは地獄について誰よりも多く説明しています。イエスは地獄を消えることのない火(マタイ3:12)、永遠の火の燃え上がる場所(マタイ25:41)、永遠の刑罰(マタイ25:46)、そして苦しみ、火、激しい苦痛の場所(ルカ16:23-24)と表現しています。イエスは福音の中で何度も地獄について具体的に説明しました。(マタイ5:22、29-30;10:28;18:9;23:15、33;マルコ9:43-47;ルカ12:6;16:23)
地獄は本当に存在するのか - 地獄で永遠を過ごすなど不公平ではないか?
もし本当に地獄が存在するのならば、公平とはどのように説明すればよいのでしょうか?人が罪を犯すのは70年から80年の短い間です。だとしたら、なぜ愛である神が永遠にその人を処罰しなければならないのでしょうか?その答えは、全て罪は最終的に無限である神に逆らうことだからです(詩篇51:4)。従って、神が永遠で無限の存在であるならば、全ての罪も永遠の刑罰に値すると言うことになります。
もちろん、神は私たちを愛し(ヨハネ3:16)、そして、すべての人々が悔い改め救われることを望んでいます。(第2ペテロ3:9)しかし神は正しく義の御方でもあります。そのため、神は罪が処罰されずにすむことは赦しません。だからこそ神はイエスが私たちの罪の代価となるために送って下さったのです。私たちが地獄で永遠を過ごすことのないようにと、キリスト・イエスが死なれたのは永遠に私たちの罪の代価を支払って下さるためです。(第2コリント人5:21)私たちはただ神を信じればよいのです。そうすれば罪は赦され天国で住まいを用意してくださると約束しています。神は救いを提供して下さるほど私たちを愛しています。もしイエス・キリストを通して与えられる永遠の命の贈り物を拒絶するならば、その決断による結果として私たちは永遠に燃えあがる炎の地獄と対面しなければなりません。
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